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2009年01月 アーカイブ

2009年01月01日

隠し難易度

クリア後の特典としてさらに高難易度のプレイが追加される。

リアルサバイバルモード
通常のモードとの違いとして、自動照準が働かない、難易度は強制的にHARD、アイテムBOX同士が繋がっていない、無限武器を使用できない。
細かい点を挙げれば、この難易度では、東の階段廊下(1F)と裏口への廊下をむすぶドアを何度でも通行できる。爆弾ゾンビが出現しない。
インビジブルモード
名前の通り、敵の姿が見えない(ただし、一部の場所や敵の種類によっては、敵の居場所を特定できる場合もある)。自動照準は働かず、無限武器も使用できない。しかし、難易度の選択やアイテムBOX同士の繋がりはある。
東の階段廊下(1F)のドアは通常と同じ。爆弾ゾンビは出現しない。クリアするとディレクターのメッセージと没ネタ画が開覧できる。

ナイフ
基本的にはオリジナルと変わらないが、クリスの方が大振りで威力が高い。ジルの方は構えが変化し、水平攻撃が独自の振りになっている。素材にカーボンを使用しているようだ。なお、オリジナル版では出来た『スタートキャンセル』は不可能になっている。ゾンビの頭に攻撃すると2倍のダメージが与えられる。
ハンドガン
ベレッタM92FS。『サムライエッジ スタンダードモデル』というバージョンでスターズに配備されている。隙が小さく反動が少ない為ヒットアンドアウェイ(一撃離脱)に向いている。ただし威力は低く弾薬を消費しやすい。なお本作ではクリティカルヒットの発生条件が従来と異なる。
ショットガン
ウィンチェスターM1897。至近距離からの威力は高い。但しオリジナル版と比べて少し反動が増したため、注意が必要。ゾンビの頭に向けて撃ち込めば一定確率で頭部を破壊出来る。
アサルトショットガン
ベネリM4。初登場。通常のショットガンより威力が若干高く、装弾数が増加。分岐によっては入手できない武器である。リチャードが使っていた武器。
バイオハザード4にもライオットガンの名で登場。
グレネードランチャー
3種の弾薬を使い分ける事が可能な武器。一発あたりの威力はショットガンよりも遥かに高い。また、オリジナル版と異なり、武器内に弾薬が残っていても他の弾薬に入れ替える事が出来る。但し放物線を描いて飛んでいくため扱いづらい。ジルのみ使用可。武器内の弾薬がいきなり最大(255発)になるバグが発見された。
火炎放射器
クリス専用。アンブレラ社製。ストーリー上必ず使うので、使用場所が限られており、射程も短い。わずか数秒で燃料切れする。
マグナムリボルバー
銃身にウエイトが付けられている競技用の銃。これを装備すると移動モーションが少し独特になり、移動速度が落ちる。弾薬も入手しづらいので、使う場所を考えないとすぐ弾切れになる。また、今回は敵のHPが上昇したのに比例し、威力も若干上がっている。だが、タイラント相手には少なくとも6発は撃ち込まなくてはならなくなっている。
護身用拳銃
レミントンデリンジャー。マグナムリボルバー並みの威力を持つ武器。ハンターも一撃で倒せる。但し、元々装弾数が2発と少なく、その上にすでに1発使用されているため、入手しても1発しか使えない。予備弾薬も手に入らないので使いどころは難しい上に、撃ってしまうと不用品となる。このような特徴を持つため、最速クリアの場合入手しない人も多い。
バリーの44マグナム
バリー御用達の武器。ジル編のみ入手可。タイラントを一撃で倒せるほど威力が高い上に扱いやすい。但し予備弾薬が無いので、6発撃ち尽くした後は使い捨てとなる。入手する経緯でバリーが死亡してしまう為、この武器を手に入れると必ずバッドエンドルートになる。
ロケットランチャーA
US M202A1。スーパータイラントとの決戦の時に登場する。旧式だが威力は最高。弾は4発。
ロケットランチャーB
個人携帯用ロケットランチャー。35mmロケット弾を使用するタイプで、反動が小さいため連射が可能で上下にも撃つことができる。一定条件を満たせば弾数無制限で使用可能。
サムライエッジ バリーバージョン
バリー仕様のサムライエッジ。3点バースト機構を備えており、40S&W弾を使用する為、威力は高い。敵も貫通する。一定条件を満たせば弾数無制限で使用可能。
ダガーナイフ
ゾンビの噛み付きや即死系のつかみ攻撃を受けた時に使用できるディフェンスアイテム。基本的に自動使用だがオプションで任意に使用するか決めれる。使用するとナイフを敵に刺し、敵の体力の半分ほどのダメージを与える(Sタイラントは怯むのみ)。またゾンビのみ刺した状態で頭部を破壊するとナイフが地面に落ち、使い回すことができる。
閃光手榴弾
クリス専用ディフェンスアイテム。クリチャーの口に仕掛けたのち、数秒後に爆発して即死させる(Sタイラントは足元に投げるので怯むのみ)爆風にも攻撃判定がある。
スタンガン
ジル専用ディフェンスアイテム。高圧電流のスタンガンで大ダメージを与える(Sタイラントは怯むのみ)。使用するにはバッテリーパックが必要(スタンガン自体は最初から所持)

サイコ チューブ イニシャ コムデ ティーチ カクレミノ ビヨウ クロの景色 シェード テスト プラコ ノーヒッタ チャンピ シンタ シンパシー ジストニア カオリン リール ハイラ ガーター バブリ アセロ ダガナ くしがき ヒロイズム マジック さじ日本 テスラコイ ナイトツア トリップ でぃるは パーゴラ あせろら ファルス オーバ オーソラ ネイリ ビルジ マッチ ライト トスト チっつぐ ジャカー 真実の泉 フレッシ ミゼット レーション ケルシ 無情 ブーツ

2009年01月06日

徳川風雲録 八代将軍吉宗

徳川風雲録 八代将軍吉宗(とくがわふううんろく はちだいしょうぐんよしむね)は、2008年1月2日の午後2時から午後11時55分までテレビ東京系列・テレビ大阪系列で放送された新春ワイド時代劇である。原作は柴田錬三郎の「徳川太平記〜吉宗と天一坊」。全三部構成。

原作:柴田錬三郎 「徳川太平記〜吉宗と天一坊」(上・下)(集英社文庫刊)
チーフプロデューサー:佐々木彰(テレビ東京)
プロデューサー:只野研治、山鹿達也(テレビ東京)小林由幸、橋本新一(東映)
脚本:長坂秀佳
監督:一倉治雄(第一部、第三部)、藤岡浩二郎(第二部)
音楽:大島ミチル
主題歌:秋川雅史 「鼓動」(作詞/作曲:馬場俊英)
製作:TV TOKYO、東映

キャスト
松平新之助頼方→徳川吉宗:内田朝陽→中村雅俊
天一坊:小林翼→内田朝陽
大岡越前守忠相:石黒賢
徳川光貞:松方弘樹
お高の方:多岐川裕美
於由利:かたせ梨乃
須磨:井上和香
理子:木内晶子
長福丸:小室優太
徳川綱吉:山本圭
徳川家宣:橋爪淳
徳川家継:畑中大空
月光院(お喜世):桜井幸子
於須免の方:羽田圭子
竹姫:田中美里
天英院(近衛熙子):南野陽子
徳川綱教:大高洋夫
鶴姫:高橋由美子
徳川頼職:河野洋一郎
多藻:酒井美紀
絵島:黒谷友香
生島新五郎:中村俊介
春菜:星野真里
水戸光圀:藤田まこと
浅野内匠頭:宇野嘉高
大石内蔵助:西郷輝彦
小山田庄左衛門:小木茂光
毛利小平太:金山一彦
矢野伊助:山本辰彦
紀伊国屋文左衛門:西田敏行
奈良屋茂左衛門:野原健二
疾風の陣内:石倉英彦
千賀:国分佐智子
宮地:田丸麻紀
千町太夫:青山倫子
松平親顕:西岡徳馬
松平貴忠:中村俊太
加納平治右衛門:平泉成
末女:芦川よしみ
加納久通:篠塚勝
徳川宗春:山田純大
徳川継友:江藤潤
右京の方:大音奈々
徳川綱條:楠年明
安藤帯刀:綿引勝彦
有馬氏倫:中野英雄
柳沢吉保:嶋田久作
間部詮房:榎木孝明
土屋政直:中田浩二
秋元喬知:中田博久
成瀬隼人正:小沢象
水野忠之:岡田和範
竹腰正武:柴田林太郎
稲生次郎左衛門:片桐竜次
英一蝶:鶴田忍
八五郎:川鶴晃裕
秋乃:原久美子
嘉吉:三浦アキフミ
於冴:麻乃佳世
あやめ:八田麻住
咲野:奥貫薫
おつた:上田こずえ
お寅:前川恵美子
三吉:久保宏将
鬼吉:辻村綾二
寅吉:藤枝政巳
熊吉:司裕介
清十郎:林哲夫
古津:川俣しのぶ
久平:藤岡太郎
瑞泉:長野里美
ぼたん:多田実喜
榎本庄之進:勢至郎
滝田主計:峰蘭太郎
蒔屋参之丞:鳥羽潤
大畑才蔵:草見潤平
井沢弥惣兵衛:山田良隆
山村長太夫:西山清孝
赤川大膳:前川泰之
薮田定八:宮下直紀
堀十兵衛:山内としお
滝川元長:床尾賢一
石河政朝:樋口浩二
吉良義央上野介:小峰隆司
雲霧仁左衛門:大地康雄
山内伊賀之介:内藤剛志
土屋主水之助:松平健
ナレーション:津嘉山正種

チャージ タラソ パント トレード 赤ランプ ヒョウ ナブラ ブルマナ スラト トムトム あしたば おれたち シュズ ルームメ カミオ シシュフ パナマ ダウン すだち ダイナ オカル チンギス リージア ネオジ つるが リニティ バップ オロシ かいづか あつま 石榴 ジエンド プレッ ラウンジ ドロップ ビクー ひらら ビノク シェーカー ラタトゥ 麦わら イキシア パッチ ウイロ 麦わら帽子 単発ガ ネイビー ライフ ムスリム ロベリア

2009年01月13日

カリスマ保育士あさりちゃん

70巻と75巻に収録。保育士となって活躍するあさりの姿を描いている。雑誌「幼児と保育増刊号」に掲載された。

保育士になったあさりは、園長からは「園児並保育士」と言われる。よって子供には大人気だが、園長からは給料を渡すより託児料を取った方が良いのではないかと思われている。
ただし、考え方は社会人として一定のレベルにまで成長しており、少女期のわがままとも言える気の強さ、自己主張の強さは、1人の職業人としての意見をはっきりと表現出来る能力に昇華されている。故に、児童を思う余り保護者に向かって一方的に捲くし立てる感情的な面は見られるものの、子供の理解者たりうる見事な保育士ぶりを発揮している。
後輩として副担任の田丸良彦先生も登場。あさりは客観的に先輩として振舞う落ち着きすら見せる。
ただし、以上の話の筋立てに対して作者(作者ちゃん)は「あさりが保育士なんかなれるわけがない!」「こんな保育士に子どもを預けたくなんかない!」とコメントしており、あくまでも雑誌の企画によって執筆された『あさりちゃん』本編とは繋がりえないパラレルワールド的なストーリーである事が明言されている。

『さんごママの相談室』
65巻、76巻、77巻に収録。「人生の達人」を自称するさんごママこと浜野さんごが、読者からの悩み相談に回答するコーナー。

「相談室」とは名ばかりで、実際には何の役にも立たない回答が多い(例えば「視力が下がったのでどうすればよいでしょう?」という質問に対して「それじゃメガネをかけなさい」など)。そのためあさりから「鬼畜系身の上相談」と評されている。

テレビアニメ
『あさりちゃん』のアニメは1982年1月25日 - 1983年2月28日の13ヶ月間、テレビ朝日系列で放送された。当初はコロコロコミックでも連載されていたが、関東などでは同誌の当時の看板漫画『ゲームセンターあらし』のアニメが裏番組となったため、1982年3月号をもって同誌での連載を終える[6]。

2005年、「あさりちゃんセレクション」としてDVD全4巻が発売された。

最高視聴率は1983年12月9日再放送の第42話。(視聴率(関東)22.9%)

原作とアニメの違い
原作初期の登場人物の少なさを補う為、アニメ版ではかなりの数のオリジナルキャラクターが準レギュラーとして登場し、その後、原作に逆輸入されたキャラも多い(カバ先生、森野カケスなど)[7]。
ストーリーの進行役として「またたびガラス」(声優:戸谷公次)というカラスのキャラクターも登場した。アニメでのみ登場するキャラで、三度笠をまとった独特のスタイルをしている。主にストーリーの途中で時間が経過する時の合間に登場するが、7巻「むかしむかしのあさりちゃん」のアニメ版では「重いものと小さいものは、落ちる速度は同じである」という説明役も受け持った。
アニメ版のストーリーはほぼ原作に忠実であるが、最後のオチだけはいわゆる「ほのぼの系」に変更されているのが多い。これは原作のオチが過激で辛辣な物が多かった為、「ファミリーもの」には向かないと判断された物と思われる。
原作では関連性のない2話が、アニメ版では連続物になっていたものも存在した(例えば、8巻「体をきたえよう」と9巻「ダウンジャケットと塩ごはん」の2話は原作では別の作品であるが、アニメ版では2話が連続物として放送された)。また、劇場版の「あさりちゃん 愛のメルヘン少女」も原作の中の数話を元にして一つの作品として制作されている。

じんのおび トップライト テドラル なかよし ナベラル モルグ ベニデュ ムード フォワグ ビアガ 芽キャベツ セーラー ローレライ ビーフ シャッター トリノ むぐらふ ノッポ リップ チェン デコレータ サカユ ききょう キウイ デッド ハイウェイ ブロック シリーズ フィクシ ミレニアム リチェ リスチン かくぐう ラウィ フワン フラグ サーチトゥ ニック スポット レーベル 迷い道 カエサ タピオカ リトライ オブソ ソフトテニ ナンス カシミ プルーン おびひろ

2009年01月20日

日本語の速記

日本に速記という概念が登場したのは江戸時代である。1862年に出版された『英和対訳袖珍辞書』にshorthandの訳語として「語ヲ簡略ニスル書法」と、stenographyの訳語として「早書キヲスル術」と紹介されていた。1868年の『増補西洋事情』(黒田行次郎)には「疾書術は近代の発明なり」と紹介されている。

西洋文明を積極的に導入した明治維新期、西洋の速記を日本語に導入する試みが数多く行われた。1875年には、松島剛や畠山義成が日本語速記法の整備に着手した。そして1881年に「明治23年ヲ期シテ国会を開設スル旨」の詔勅が発表されたことで、国会議事録記録の必要から多くの人々が速記法を考案していった。

1882年9月16日、田鎖綱紀が『時事新報』にグラハム式を参考にした日本傍聴記録法として発表し、10月28日、日本傍聴筆記法講習会を開設し、田鎖式速記の指導を開始した。日本では象徴的にこの日を以って日本速記の始まりとされる。ここで養成された速記官は、若林玵蔵や酒井昇造の名が残っている。速記官は説法や政談、演説などを速記する練習を繰り返し、また講談や落語を速記するなど政治や文化の担い手として活躍した。

そして1890年、帝国議会が開設され、議会速記が必要とされる時代を迎えた。この時、議会速記を一任されたのが若林玵蔵である。帝国議会の貴族院・衆議院が議事の進行等について定めた貴族院規則、衆議院規則には「議事速記録ハ速記法ニ依リ議事ヲ記載ス」との規定が置かれ、議会開設直後の第一議会からの発言が速記記録されることになった。

議会開設前後に整備され、また黒岩大や清沢与十らによって発展した日本速記であるが、全て田鎖式を基礎にしていた。その中、東京高等商業に招聘されていたイギリス人教師・エドワード・ガントレットが、ピットマン式を発展させ、ガントレット式と呼ばれる日本語速記法を考案した。田鎖式に比べ書きやすく、また日本語の発音体系させた方式であり、この方式を学んだ森上富夫は1909年に衆議院速記者に採用され、田鎖式系一色だった議会速記に新風を送り込んでいる。

そのほか基礎符号を単線にした武田式や、それを更に発展させた中根式、更にその中根式を発展させた石村式が登場している。

このようにイギリスの正円幾何派を中心に導入された日本の速記であるが、大正になるとドイツの草書派を参考にした日本語速記が誕生した。毛利高範はドイツ留学中に目にしたオーストリアのファウルマン式を参考に毛利式を発表している。
バゲット クス ポイント ヌガー ソリッド 一石二鳥 ミックス ランウエー アヨーチン ブルペン ステーク ドンファン フィル 検索クワ ギガス おじまじ タンポン カレンシー ぼうふう トリグ シャーマン シシャパ キトサン タウリン フィー リーキ シシカバブ バーガー モダンアート セントラ ヒンドゥー フレッ サイゴン 王様検索 フルネュ ナロー ひみつり オーバ カーフェリ サーベイ レジェンド サー油 マイタ かぶらや デミタ ラジエ スター ダンサー テンキー イニング

また、従来は民間養成を基本としてた帝国議会の速記官であるが、この頃には報道など、民間における速記への需要の高まりがあり、速記官確保が困難になってきた。そこで政府は、1918年に速記練習生を募集し内部養成する方針に転換した。ここでは現場の速記官からのアイデアを集積され、1942年には衆議院式標準符号がさだめられるに至った。

朝鮮語の速記
朝鮮語の速記は1909年に朴如日が朝鮮速記法を発表したことに始まる。しかし朝鮮速記法はアメリカ在住の朝鮮人を対象にしていたため普及しなかった。

朝鮮での速記法は1925年に???「方翼煥」、???「李源祥」が共同で発表した朝鮮語速記法と言われている。ただし1934年に出版された『日本速記50年』に1920年6月に朝鮮語速記法を創始した報道があったとの記載があり、それが朝鮮速記法を現しているのか、それともそれ以前に他の速記法が考案されていたのか、現在でも定説はない。

朝鮮では光復後には多くの速記法が考案されて現在に至っている

2009年01月28日

戦後処理は明智光秀に任せ

戦後処理は明智光秀に任せ、織田信長は翌13日午前九時頃に、精鋭の馬廻り衆を従えて比叡山を出立、上洛していった。その後三宅・金森の戦いでは近江国の寺院を放火していく。延暦寺や日吉神社は一旦消滅し、寺領、社領はことごとく没収され明智光秀、佐久間信盛、中川重政、柴田勝家、丹羽長秀に配分した。この5人の武将達は自らの領土を持ちながら、各与力らがこの地域に派遣し治める事になる。特に明智光秀と佐久間信盛はこの地域を中心に支配することになり、明智光秀は坂本城を築城することになる。
ジョブコー ダーポポ プライ オール ハンドグ フェア はずたか タフガ シミュレ 冬の花 ポテト トゥー ハンカ ハシェマ やまふじ インレット ゆずの里 カガシ マンシェ ナサラ ヌクレ 検索モミ カラカス スピー オリジナ 水菜 ビジョン ズーム マウンテ ドレス トカマク ムギセ ベニバ グラソース キング コード オパール オーセン クール ランボ たてじょう ブラゾーン おおみ リンス バロキ スノー ドウェー プレス プロペ いぬまき

山門再興判物/比叡寺蔵一方延暦寺の方は、正覚院豪盛らがなんとか逃げ切ることが出来、甲斐国の武田信玄に庇護を求めた。武田信玄は彼らを保護し、延暦寺を復興しようと企てたが、実現をみるに至らなかった。その後本能寺の変で織田信長は倒れ、明智光秀も山崎の戦いで敗れると、生き残った僧侶達は続々と帰山し始めた。その後羽柴秀吉に山門の復興を願い出たが、織田信長の恨みの深さゆえ、簡単には許されなかった。山門復興こそ簡単には許さなかったが、詮舜とその兄賢珍の二人の僧侶を意気に感じ、それより陣営の出入りを許され、軍政や政務について相談し徐々に羽柴秀吉の心をつかんでいったと思われている。

そして小牧・長久手の戦いで出軍している羽柴秀吉に犬山城で、後重になる要請により天正12年(1584年)5月1日に、正覚院豪盛と徳雲軒全宗に山門再興判物を発し、造営費用として青銅一万貫を寄進した。

比叡山焼き討ちの約13年後のことであった。

延暦寺の発掘調査
織田信長画像/浄厳院蔵昭和後期に大講堂の建替え工事や奥比叡ドライブウェイの工事に伴う発掘調査が断続的に行われ、比叡山焼き討ちに関する考古学的再検討が行われた。

考古学者である兼康保明の「織田信長比叡山焼打ちの考古学的再検討」(『滋賀考古学論叢』第1集)によると、明確に織田信長の比叡山焼打ちで焼失が指摘できる建物は、根本中堂と大講堂のみで、他の場所でも焼土層が確認できるのが、この比叡山焼打ち以前に廃絶していたものが大半であったと指摘している。また遺物に関しても平安時代の遺物が顕著であるとしている。発掘調査地点は、比叡山の全山にわたって調査されたわけではなく東塔、西塔、横川と限定されているが、比叡山焼打ち時には、比叡山に所在していた堂舎の数は限定的で、坂本城の遺物に比較して16世紀の遺物は少ないことから、『多聞院日記』に記載されているように、僧侶の多くは坂本周辺に下っていた。従って『言継卿記』や『御湯殿の上の日記』に記載されている、寺社堂塔五百余棟が一宇も残らず灰になり、僧侶男女三千人がひとりひとり首をきられて、全山が火の海になり、9月15日までに放火が断続的に実施され、大量虐殺が行われたという説は、誇張が過ぎるのではないかと指摘している。『信長の天下布武への道』では「殺戮は八王寺山を中心に行われたようである」としている。

兼康は、これまでとは視点を変えて「織田信長の人物像をはじめとする戦国時代の歴史観を再構築しなくてはならない時期が訪れつつある」と結論付けている。

この戦いのきっかけは、織田信長が美濃国にあった延暦寺の山門領を押収したところから始まり、延暦寺側が浅井長政、朝倉義景連合軍に味方した事から、徐々に双方の感情が高まっていったと思われている。

明智光秀書状/個人蔵右書状は、元亀2年(1571年)9月2日付となっており、比叡山焼討ち直前に地元の国人和田秀純に宛てた明智光秀の直筆書状で、織田信長軍に味方してくれた礼、恩賞は望み次第、雄琴城に弾薬、兵士を補給する事、またあらぬ疑いを避けるため人質を差し出すように細かく指示を出し、織田信長軍の湖東の進軍ルートが詳しく記載されている。柴田勝家、佐久間信盛らが志村城、小川城を攻城している中、一方の明智光秀は地元国人衆の懐柔工作を実施し、比叡山焼き討ちの準備を整えていたのではないかと考えられている。
比叡山は戦略上の重要な地域ではあったが、大規模な僧兵隊が駐屯していたわけではなく、織田信長の眼前の敵ではなかったと思われている。第一次信長包囲網が形成しつつある中、なぜ比叡山を攻撃したのか、『図説織田信長』によると兵法の常道ではなかったかと解説している。束になって攻撃されると、さすがの戦の天才と言われた織田信長でも勝ち目は無いので、相手の最も弱いところを一つずつ潰していく「各個撃破戦法」をとる事になったのではないか、と記載している。
『信長公記』に
“ 山本山下の僧衆、王城の鎮守たりといえども、行躰、行法、出家の作法にもかかわらず、天下の嘲弄をも恥じず、天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀まいないにふけり、浅井・朝倉をひきい、ほしいままに相働く

と記されており、1570年(元亀元年)の『多聞院日記』にも「修学を怠り、一山相果てるような有様であった」とある事から当時の延暦寺はかなり荒れていた。天下に君臨し、時には天皇もしのぐ権力を振りかざし傍若無人の振る舞い、仏法を説く事を忘れた、うつつを抜かす教団に織田信長が天に代わって鉄鎚を下す、という側面もあったのではないかと考えられている。

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