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日本における養子縁組制度の歴史

日本の歴史において、最初に現れる養子に関する法律は、唐の律令法の影響を受けて成立した大宝律令であると言われている。ただし、中国の宗族社会と違って、氏姓制度の延長上に成り立った日本社会では、中国の様な厳格な制限は設けられず、一定の年下の者であれば養子縁組は比較的簡単に許された。このため貴族社会においては、家の継承に加えて、高官が優秀な孫や庶流・傍流出身者を養子に迎え、蔭位制度を活用してその出世を助ける事で、結果的に一族の繁栄を図ろうとするための養子縁組が多くなった。また、時には遠い親戚や異姓出身者を養子にする者もあった(中国では少なくとも建前としては、他姓の養子は礼制に反すると強く戒められている)。また、平安時代までは「養子」とより擬制的な要素の強い「猶子」との区別は曖昧であった。両者の分離が進むのは、中世以後の事である。

当時の養子縁組の代表的な例として摂関家を例に取ると、仁寿年間に文徳天皇の義父として権力を振るっていた正二位右大臣藤原良房に男子がいないために、長兄で正三位参議であった長良の三男・基経を養子に迎えた。その結果、基経は養父の蔭位によって17歳の若さで蔵人になった一方で、長良の子としてそのまま育ったその同父母兄弟は、兄・国経が31歳、弟・清経は32歳になってやっと蔵人に到達したのである(ちなみに基経は30歳前に参議に到達している)。更に良房が摂政・太政大臣に登り詰めたのに対して、長良が権大納言で死去したために、その出世の格差は広がるばかりであった。異姓の養子の例としては、姉婿である藤原頼通の養子となって後の村上源氏繁栄の基礎を築いた源師房(村上天皇の孫である資定王)などがいる。

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2008年11月11日 07:18に投稿されたエントリーのページです。

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